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ファイナルファンタジーIV コンプリートコレクション [ゲーム・漫画・映画・小説]
略してFF4CC。
FF4CC=FF4+interlude+FF4TAと知ったのはDS版FF4を買ってからで、愕然。
とはいえ、FF4のDS版とはかなり違っていたので、そこはまあよかった。
<interlude…まさにinterlude>
FF4 THE AFTER(以下TA)をPSP化するに当たって作った、FF4のだいたい1年後。
初めてのドット絵ゲームを楽しめるか不安だったが、ゲームはグラフィックではなく、やはりバトルとシナリオだと実感。
とはいえ、シナリオ的にはアーシュラの名付け親がセシルというだけで、ここだけが目当てなら買わなくていいかも。
アーシュラのネーミング、洋風にも中華風にもとれてナイスだと思った。
町の人に「カイン様」と呼ばれているので、裏切りは知られていない様子。
<TA…続編というより祭りゲー?>
続編として慎重にキャラクターへの気配りがされていると思った。
その気配りをどうとるかで評価が分かれそう。
主役はセシルとローザの子セオドアという設定だが、実質は前半カイン、後半ゴルベーザという印象。
セオドアは主役というよりはヒロインポジションに近い。
セシルがいろいろ気の毒な待遇に思えたけれど、続編における、前作で成長の完了した主人公としては当然なのかもしれない。
「謎の男」、本来は「カインか?それともゴルベーザなのか?」とわくわくできたところのはず。
まさか別ゲームのDDFFで、ためらいもなくネタばらしされていたとは!
カインとゴルベーザの会話では、カインの一番の理解者はゴルベーザだったんだろうなと改めて感じさせる。
セシルのゴルベーザへの独白では、「親友設定っていったい?」とちらり。
前作で、兄同然への親友へ向けられた「あてにしてるぜ」が今回は臣下へ向けられているわけで。
いやはや。
カインはとってもおいしい。
でも後で聞くと、カイン好きでも、このゲームはなかったことにしているという人もいた。
そもそもカインの髪が長いこと自体から違和感があるそうで、FF4は長く愛されているんだなあと感心した。
<FF4>
DS版にくらべて難易度もエンカウント率も低くて拍子抜けした。
ボスがDSと同じ方法だと倒せないことがある。
4は突っ込みどころが多いのだが、ドット絵のおかげでDS版ほどいろいろ気にならなかった。
かえって物語の余白を感じられていい面もある。
エクストラダンジョンは、これまたカインのフロアが一番気合いを入れられていたように思う。
PSPより前のバージョンにも入っていたそうで、TAのカイン編はここが元ネタなのだろう。
ここの内容、気の毒すぎて、カインはなぜローザのこと好きだったのかなとむしろ疑問に思えてくるレベル。
性格的に、カインにとってもあまり恋愛対象にならなそうな気がするが。
私は4本編はDSをやった直後だったので後回しにしたが、本編から順に続けてやると、カインが真の主役のように感じそうだ。
スティグリッツ『入門経済学』 [会計]
アメリカではこんなに学生フレンドリーな教科書を使っているのかと複雑な気持ちになった本。
2005年に出た本だから、今読むと時事の古さにびっくりする。
<学生フレンドリー>
学生のときに何冊か日本人の先生の書いた経済学の本を読もうとしたが、「えっ何この非現実的な仮定」と首をひねる頃合い(それでも結構はじめのほう)に数式やグラフが出始めて、そのダブルアタックに完敗していた。
この本はなぜ非現実的な仮定を置くか等、先回りして細かいが気になる点を解消しておいてくれる。
数式やグラフが出てくるのも、苦手意識を持つ可能性に気付かせないままさりげなく。
証券アナリスト試験と違うのは、こちらが本来の経済学なのだろうか、失業問題をかなり重視している点。
それから、失策は失策と明確に指摘している点。日本の教科書は言及がなかったような記憶がある。
それにしても、経済学を学んでいると政策への理解度が違うだろうな。
日本版補講のところで、とたんに分かりにくくなるのに苦笑してしまった。
<時事の古さ>
SARS、あああったなーと遠い目。
経済成長のところで日本を使って説明しているのが切ない。
東アジア危機の直後らしく、隔世の感がある。
<個人的な感想>
題名通り扱っているのは入門部分で、証券アナリスト試験で勉強したはずだがほぼ覚えていないあげく、不明点も変わっていなかった。
もう、経済学への未練はないな。損切り的な意味で。
この本によると、年金制度が自分の引退時まで存在していると考えている人は、UFOを信じている人よりも少ないという調査結果もあるらしい。
若者を対象とした、たぶんアメリカの調査だろうが、日本もきっと同じだろう。
うっかり笑ってしまったが、ぞっとする話だ。
ギーター本『神の詩―バガヴァッド・ギーター 』 [体のメンテナンス]

神の詩―バガヴァッド・ギーター (TAO LAB BOOKS)
- 作者: 田中 嫺玉
- 出版社/メーカー: TAO LAB BOOKS
- 発売日: 2008/09/15
- メディア: 単行本
バガヴァッド・ギーターをまるごと味わいたいときの本。
平易で、ギーター本の最初の1冊目にもいい。
注釈はついているのだがうるさくなく、哲学など気にせずに済む。
これまで見た中で一番分かりやすい家系図と、各章につけたタイトルと、概念につけた漢字(例:「自由」に「さとり」というふりがなをつけている)で、とてもわかりやすい。
上村勝彦さんや鎧淳さんの訳との違いは、神の扱いだろうか。
お二人のは、
大原則や真理、あるいはそれを擬人化して神
といった感じだが、この田中嫺玉さんの訳は
神、それがつかさどるのが大原則や真理
といった雰囲気を感じる。
無宗教な日本人には前二者がよく、ギーターがヒンズー教の経典と考えるとこの田中さんのがニュアンスに適っているのだろうか?
あくまで好みで、微差だが。
どのギーター本もそうだが、この本も日本語が美しい。
学者ではなく主婦の方がたゆまず勉強を重ねた末に訳したというのが、なんともいえず胸を打つ。
傾聴の通信教育 [コミュニケーション]
鈴木秀子シスターの主宰するコミュニオン学会の傾聴の通信講座、『愛と癒しの366日』を終了して半年ほど経つ。
自分の中で結論が出たらと考えていたが、たぶん結論というものが出るものではないので、現時点のものを。
<きっかけ>
もともとはコーチングを勉強していたが、コーチングはアメリカ由来のためか、自分というものが確立していて、かつ将来がある人のためのものであるように感じられた。
生まれたときから自分というものを確立することが困難な状況に立つ人や、死にゆく人に対して、どうにも無力感を拭えない。
そんなときに、鈴木秀子シスターの本を知り、感銘を受けた。
キリスト教アレルギーのある私は、ビジネス書(御立尚資さん)で紹介されていなければこの本を手に取ることもなかっただろう。
幸運だった。
タイトル通りの「心の対話者」という資格もあり、そのためにはこの通信講座が必要だった。
聴き方のテクニックどうこうより、まず自分自身を調えることで聴き方はついてくるということが察せられた。
<通信教育のしくみ>
一日ごとに小さな話を載せたこの本を読みながら、その中で月ごとに3日分の話に着目したワークを実際に手を動かして取り組み、月ごとに気付いたことを含めたレポートを提出するというもの。
レポートといっても論文ではなく、A3の紙の質問に答えるもので、時間的あるいは文章力的な負担はさほどない。
ただ、ワークをやるときには安心できて1人になれる場所を確保する必要があると思う。
初回は約1カ月後、以降はもう少し早めにフィードバックが返ってきた。
心の変化というものは意外と早くやってくるようで、フィードバック時点ではでは正直「えっ、何の話だったっけ」と忘れているのだが、自分自身で気づくことに一番の意味があり、フィードバックは二の次と考えてよいとあとで聞いた。
本は当然日本語だが、キリスト教的な意味合いとキリスト教な論理で出来ているので、私のようにキリスト教アレルギーが強いと読みづらいのは否定できない。
そもそも、毎回短めの文章を取り上げてそれについて深く考えるのも教会の礼拝と同じやり方だ。
まあ今思えば、アレルギーがある=ある程度慣れているということで、もしや理解しやすい方だったのか?
真偽は知らないが、「癒し」という言葉はもとは鈴木秀子シスターが(当然)キリスト教意味合いで用いていたものが独り歩きしているうちに流行ったとも聞いたことがある。
<やってみた>
月に3日分だけ取り組むのではもったいないので、個人的には毎日分、読んで気づいたことをA5ノートに書いていった。
本の話自体は一見平易すぎて大丈夫なのかと思うが、これが「せめて感想だけでも」と書いてみると、自分が書いたとは思えないほどの量と深い内容が泉のように出てきて驚愕。
きつく感じられて毎日は続けられない日々もあったし、実際やっている期間はげっそりやつれた。
事実はそれ自体でしかないのに、きつく感じられたりやつれたり、またそのことを自分で責めたり。
その時点でおかしいのだということは早くに気付いたが、判断するというのをやめるのは今も難しい。
やっている期間はなるべく人の話を聞くようにしていたが、考え方の違いにも驚くことがたびたびあった。
たとえば贈り物には、人間関係の考え方が非常によく表れる。
「ふだんの日に、ぱーっと自分の気に入ったものを配ってまわりたい、だからお返しなんてもらうと興ざめする」というのは目うろこだった。
あと、これは傾聴関連ではなかったのだが、お祝い事のあった本人ではなく、あげる側のあげたいものをあげるという考え方。
私は、たとえ結果的に外すにせよ、本人の気にいるものをあれこれ悩んで狙いにいくものだと思っていた。
向こうにしてみれば、「世界に一つ」に「バレンタインの手編みのマフラー」と同じ負担を感じる私に驚いたかもしれないが。
キリスト教アレルギーについては、期間中にいろいろ起こったことや、この本のキリスト教的意味合いを探る中でかなり解消された。
やって行く中で、私は本当は人の話を聴きたいのではなく、「子どものころからずっとやってきた聴き役を、もう本当に興味のある人相手にしかやりたくない」のだと気がついた。
励ますのではなく、事実や変化を伝えるだけでいい、そういう人間関係であればお互いに楽になれるのだろう。
自分の中で結論が出たらと考えていたが、たぶん結論というものが出るものではないので、現時点のものを。
<きっかけ>
もともとはコーチングを勉強していたが、コーチングはアメリカ由来のためか、自分というものが確立していて、かつ将来がある人のためのものであるように感じられた。
生まれたときから自分というものを確立することが困難な状況に立つ人や、死にゆく人に対して、どうにも無力感を拭えない。
そんなときに、鈴木秀子シスターの本を知り、感銘を受けた。
キリスト教アレルギーのある私は、ビジネス書(御立尚資さん)で紹介されていなければこの本を手に取ることもなかっただろう。
幸運だった。
タイトル通りの「心の対話者」という資格もあり、そのためにはこの通信講座が必要だった。
聴き方のテクニックどうこうより、まず自分自身を調えることで聴き方はついてくるということが察せられた。
<通信教育のしくみ>
一日ごとに小さな話を載せたこの本を読みながら、その中で月ごとに3日分の話に着目したワークを実際に手を動かして取り組み、月ごとに気付いたことを含めたレポートを提出するというもの。
レポートといっても論文ではなく、A3の紙の質問に答えるもので、時間的あるいは文章力的な負担はさほどない。
ただ、ワークをやるときには安心できて1人になれる場所を確保する必要があると思う。
初回は約1カ月後、以降はもう少し早めにフィードバックが返ってきた。
心の変化というものは意外と早くやってくるようで、フィードバック時点ではでは正直「えっ、何の話だったっけ」と忘れているのだが、自分自身で気づくことに一番の意味があり、フィードバックは二の次と考えてよいとあとで聞いた。
本は当然日本語だが、キリスト教的な意味合いとキリスト教な論理で出来ているので、私のようにキリスト教アレルギーが強いと読みづらいのは否定できない。
そもそも、毎回短めの文章を取り上げてそれについて深く考えるのも教会の礼拝と同じやり方だ。
まあ今思えば、アレルギーがある=ある程度慣れているということで、もしや理解しやすい方だったのか?
真偽は知らないが、「癒し」という言葉はもとは鈴木秀子シスターが(当然)キリスト教意味合いで用いていたものが独り歩きしているうちに流行ったとも聞いたことがある。
<やってみた>
月に3日分だけ取り組むのではもったいないので、個人的には毎日分、読んで気づいたことをA5ノートに書いていった。
本の話自体は一見平易すぎて大丈夫なのかと思うが、これが「せめて感想だけでも」と書いてみると、自分が書いたとは思えないほどの量と深い内容が泉のように出てきて驚愕。
きつく感じられて毎日は続けられない日々もあったし、実際やっている期間はげっそりやつれた。
事実はそれ自体でしかないのに、きつく感じられたりやつれたり、またそのことを自分で責めたり。
その時点でおかしいのだということは早くに気付いたが、判断するというのをやめるのは今も難しい。
やっている期間はなるべく人の話を聞くようにしていたが、考え方の違いにも驚くことがたびたびあった。
たとえば贈り物には、人間関係の考え方が非常によく表れる。
「ふだんの日に、ぱーっと自分の気に入ったものを配ってまわりたい、だからお返しなんてもらうと興ざめする」というのは目うろこだった。
あと、これは傾聴関連ではなかったのだが、お祝い事のあった本人ではなく、あげる側のあげたいものをあげるという考え方。
私は、たとえ結果的に外すにせよ、本人の気にいるものをあれこれ悩んで狙いにいくものだと思っていた。
向こうにしてみれば、「世界に一つ」に「バレンタインの手編みのマフラー」と同じ負担を感じる私に驚いたかもしれないが。
キリスト教アレルギーについては、期間中にいろいろ起こったことや、この本のキリスト教的意味合いを探る中でかなり解消された。
やって行く中で、私は本当は人の話を聴きたいのではなく、「子どものころからずっとやってきた聴き役を、もう本当に興味のある人相手にしかやりたくない」のだと気がついた。
励ますのではなく、事実や変化を伝えるだけでいい、そういう人間関係であればお互いに楽になれるのだろう。
本『「バガヴァッド・ギーター」―神に人の苦悩は理解できるのか?』 [体のメンテナンス]

『バガヴァッド・ギーター』―神に人の苦悩は理解できるのか? (書物誕生―あたらしい古典入門)
- 作者: 赤松 明彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/12/18
- メディア: 単行本
バガヴァッド・ギーターの、書物としての歴史を追う本。
ギーターの成立や
ヨーロッパにおける翻訳合戦、
ガンジーやシモーヌ・ヴェイユとギーターの関わり
について書いてあるので、それらを知りたい人にはいい。
インドがイギリスの植民地だったからヨーロッパに紹介されるのは分かるとしても、なぜそんなに支持を集めたのだろうと思っていた。
とくに第2章が、キリスト教における一神教と重なるところがあるように読めるという記述に、なるほどと思う。
またクリシュナの神格化についての記述も、勘違いを正してくれた。
クリシュナが神の化身であるのが周知なのはギーター内からのようだ。
最初から敬語使っているから「?」と思っていたが、そういえば上村勝彦さんのギーター訳の中のマハーバーラタの要約に、請われて協力をするようになった経緯があった。
請われるほど、人間としてすでに名高かったわけだ。
あのエピソード、面白かった。
ギーターの内容自体には、概略の引用と、間接的な記述でところどころ触れている。
知性のヨーガと行為のヨーガを、前者は認識の転換を導く知性の状態、後者は行為の転換を導く知性の状態としているところが分かりやすかった。
副題の「神に人の苦労は理解できるのか」という作者の視点、もう少し記述があったらうれしかった。
IYC『新年あけまして太陽礼拝108回』 [体のメンテナンス]
IYCの、新年あけまして太陽礼拝108回に参加してきた。
アシュタンガの、ヴィンヤサやドリシュティの意味を、改めて楽しく体感できた。
もともとこの本に太陽礼拝を数百回やっていくエピソードがあって、呼吸・体・マインドの順で変化していくという感覚に興味津々だった。

しかし太陽礼拝の一連のアサナ(とくにB)は、私にとっては何年やっても一番しんどいアサナ。
毎日5回ゆっくりとした呼吸でやるのも精一杯、自分1人で108回など試すまでもない。
「わーい♪」と申し込んだ後、ちょっと我に返る。
まあでも、「誰でも」「笑顔で」とあるから、たとえ脱落しても大丈夫なはず…。
と自分を励まして会場へ。
<会場>
IYCの九段飯田橋スタジオ。
むかし、水道橋で国家試験の受験勉強のために一日8時間×週6で勉強していた場所から数百メートルしか離れていない。
だから個人的に、ものすごく不思議な立地に思えた。
水道橋と九段下って徒歩であんなに近いのか!
<参加者の方々>
意外にもお一人をのぞいて全員女性。
とはいえ、皆さん移動用のマイマット&バッグを持っていらっしゃるわけだから普段から練習していらっしゃるはず。
<太陽礼拝>
リズミカルに、2拍子で。
一番きつかったのは意外にも最初~33回目あたりまで。
右足からと左足からがなかなかスムーズに覚えられない。
(普通の人はたぶん覚えるまでもない)
88回目以降は汗で滑らないか少し気が散り、「夏は相当気が散っていたな」と気付く。
100回目以降は、逆に回数を聞かないほうが気持ちとして楽で、仕事上も思い当たることがあった。
108回終わった時は「130回くらいはいけたなあ」と続けたくさえ感じたのが恐ろしい。
でもなんだ、やはり「さすがに煩悩こんなにたくさんは持ってないな」と思う回数だった。
<気づいたこと>
ドリシュティや頭の向き、普段から思ってはいたが、立ちくらみや目眩防止を、かなり計算してあるのだなと実感。
ドリシュティ、体も楽だが心も楽なのを初めて知った。
こうも次々にアサナが流れていくと、最後に残るのは呼吸だけ。
呼吸が手の隙間からこぼれ落ちそうになるのを、なんとか集中してつかまえる感じだった。
その集中の意識が、眉間にあれば平常で、あごから下に落ちると、不思議にも体力とは関係なくかなりしんどい。
アサナの方には意識を配る余裕はなかった。
とはいえ、背中がうねるような動きがとても気持ちよかった。
アサナのほうは普段の鍛錬で無意識になるまでに昇華し、あくまで呼吸に集中するのが本来の姿かもしれない。
呼吸が主だと知ってはいたけれど、ひょっとして主どころか100%なのか?
新しい年の、幸先の良い楽しいヨガはじめだった。
アシュタンガの、ヴィンヤサやドリシュティの意味を、改めて楽しく体感できた。
もともとこの本に太陽礼拝を数百回やっていくエピソードがあって、呼吸・体・マインドの順で変化していくという感覚に興味津々だった。

ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法 (カルチャー・スタディーズ)
- 作者: ケン・ハラクマ
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2008/07/15
- メディア: 単行本
しかし太陽礼拝の一連のアサナ(とくにB)は、私にとっては何年やっても一番しんどいアサナ。
毎日5回ゆっくりとした呼吸でやるのも精一杯、自分1人で108回など試すまでもない。
「わーい♪」と申し込んだ後、ちょっと我に返る。
まあでも、「誰でも」「笑顔で」とあるから、たとえ脱落しても大丈夫なはず…。
と自分を励まして会場へ。
<会場>
IYCの九段飯田橋スタジオ。
むかし、水道橋で国家試験の受験勉強のために一日8時間×週6で勉強していた場所から数百メートルしか離れていない。
だから個人的に、ものすごく不思議な立地に思えた。
水道橋と九段下って徒歩であんなに近いのか!
<参加者の方々>
意外にもお一人をのぞいて全員女性。
とはいえ、皆さん移動用のマイマット&バッグを持っていらっしゃるわけだから普段から練習していらっしゃるはず。
<太陽礼拝>
リズミカルに、2拍子で。
一番きつかったのは意外にも最初~33回目あたりまで。
右足からと左足からがなかなかスムーズに覚えられない。
(普通の人はたぶん覚えるまでもない)
88回目以降は汗で滑らないか少し気が散り、「夏は相当気が散っていたな」と気付く。
100回目以降は、逆に回数を聞かないほうが気持ちとして楽で、仕事上も思い当たることがあった。
108回終わった時は「130回くらいはいけたなあ」と続けたくさえ感じたのが恐ろしい。
でもなんだ、やはり「さすがに煩悩こんなにたくさんは持ってないな」と思う回数だった。
<気づいたこと>
ドリシュティや頭の向き、普段から思ってはいたが、立ちくらみや目眩防止を、かなり計算してあるのだなと実感。
ドリシュティ、体も楽だが心も楽なのを初めて知った。
こうも次々にアサナが流れていくと、最後に残るのは呼吸だけ。
呼吸が手の隙間からこぼれ落ちそうになるのを、なんとか集中してつかまえる感じだった。
その集中の意識が、眉間にあれば平常で、あごから下に落ちると、不思議にも体力とは関係なくかなりしんどい。
アサナの方には意識を配る余裕はなかった。
とはいえ、背中がうねるような動きがとても気持ちよかった。
アサナのほうは普段の鍛錬で無意識になるまでに昇華し、あくまで呼吸に集中するのが本来の姿かもしれない。
呼吸が主だと知ってはいたけれど、ひょっとして主どころか100%なのか?
新しい年の、幸先の良い楽しいヨガはじめだった。
箱根駅伝見に行ってきた [行ったところ]

迫力もなにも、目の前通り過ぎるの一瞬すぎた!
一位の東洋大はとくに沿道「えっ?もう?」って感じで、声援が出たのは体感で結構待った二位から。
かなりの人が携帯見ているのは、写真撮るためでなく、携帯でTV見ていつ来るかチェックするためなんだな。
JILL STUART カフェ(二子玉川) [ごはん]

二子玉川ライズ内のJILL STUARTカフェに行ってきた。
パンケーキは生地もクリームもふわふわで軽い!
メープルシロップがしみている。
シェアしたけれど一人でも大丈夫だったかな。
上村 勝彦『バガヴァッド・ギーター』 [体のメンテナンス]
わかりやすい全訳本。
これまで読んだ2冊は一部古文調だったり哲学からのアプローチだったりして正直とっつきにくかったので、はじめてふつうに読めると感じた。
最初にマハーバーラタの全巻分のあらすじが載っており、家系図とあわせ、状況設定や人物関係がぐっとわかりやすくなっているので入りやすい。
持ち運びしやすい文庫本なのも気に入っている。
<構成>
まえがき:
マハーバーラタ全巻のあらすじ&家系図。
これで第1章は驚くほどわかりやすくなって、ふつうの物語のように引き込まれて読める。
家系図もよくわからないところがあったが解消。
五王子で共有の妻なんて、なかなか発想できない。
本文:
わかりやすい。
直訳だと別名が多いが、統一されているので混乱しない。
訳注:
第7章や第13章部分でさりげなくサーンキヤ哲学における世界観の説明があって、ようやく少しは理解できた。
本性(プルシャ)には低次のプラクリティ(物質的原理)と高次のプラクリティ(精神的原理)がある。
前者から思推機能、さらには自我意識が生まれ、そこからさらに11の器官と五唯になる。
11の器官は五感と、五行動器官と、思考器官(マナス)。
五唯から五元素が生まれる。
解説:初見だと無味乾燥に感じたかもしれないので、先に同じ著者の解説の本を読んでおいてよかった。

バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)
- 作者: 上村 勝彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/07
- メディア: 文庫
参考書:
あちこちに載っている辻 直四郎訳というのを、そのうち読んでみるか。
<感想>
まだ、行為・知識・信愛のうちどの道なのか見失うことも多いが、少しはなじんだ感じがする。
・アルジュナも第5章の冒頭ではヨーガの定義にちょっと混乱している
・実は同じ内容の違う言い回しで、クリシュナも苦心してアルジュナに言い聞かせている?
・輪廻転生は解脱すべき(あるいはしたい)ものである
個人的には、これまで会った輪廻転生を信じている人は来世があることを大歓迎な人が多かったが、少なくともギーターではそうではないようだ。
・なすべきことを「せよ」といっても、水が高いところから低いところへ流れるようなニュアンス?
作為のようでいて、そうではない。うまく言えないが。
ギーターではヨーガ=平等の境地、ヨーガ・スートラではヨーガ=心の作用の止滅だが、実は同じといったような。
ツイッターのbotで興味を持ったクリシュナムルティの本で、同じようなニュアンスを感じた。
マハーバーラタ、血沸き肉踊るストーリーでぜひこの著者の訳で読んでみたかった。
完訳を前に亡くなられたそうで残念だ。
五王子共有の妻だったり、結婚前の秘密だったりなどで、日本の家系図と違って女の人のほうに配偶者が多いのがニヤッとさせる。
本『「本物の営業マン」の話をしよう』 [コミュニケーション]
題名はアレだが、、中小企業や個人プレー可能な職場に属する人のための営業の本が圧倒的に多い中で、大企業に属する人のための営業の本。
商品が生産財か消費財かで分け、主に前者についてのことを扱っているのだが、これが目うろこだった。
私は営業塾にも通ったことがあるが、そこでの教えは正直身近ではなかった。
それは、私が接していたのは生産財の営業の人達だったからで、そこは消費財向けだったのだと初めて気づいた。
マーケティングで両者をはっきり分けるのに、なぜ私は営業もそうだと気付かなかったのだろう?
力の半分は社内に向ける
接待すべきは技術部門
価格交渉の根回し
佐々木常夫さんが営業の本というのは意外な気がしたのだが、面白かった。
やはりご家族関連の話は、個人的に胸を打つ。
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